もとつ雫(もとつしずく)
もとつ水を分けて世界をつくったとき、分けきれずに残った未分化の一滴。いまも世界のどこかに紛れていて、その一滴の中だけは、すべてがまだ宙ぶらりんのままだという。
ケノマの記事世界に現れる、ことば・怪異・概念の覚え書き。すべて本紙の創作(フィクション)です。各用語から、それが登場した記事へ行けます。
もとつ水を分けて世界をつくったとき、分けきれずに残った未分化の一滴。いまも世界のどこかに紛れていて、その一滴の中だけは、すべてがまだ宙ぶらりんのままだという。
世界が分かれる前の、陸も空も生も死もすべてが一つに溶け合った原初の水。世界各地の「最初は水だった」という創世神話の共通の骨組みから、本紙が組み立てた架空の「失われた元神話」の中心概念。
原初の水〈もとつ水〉に最初の境目が引かれたとき、初めて分かたれた二つのこと。一つのものを分かつことで生まれた、最初の子どもたち。分けきれずに残った一滴〈もとつ雫〉のぶんだけ勘定が合わず、どちらも生まれつき少しずつ欠けている——世界各地の「片方が欠ける双子神話」の共通の骨組みから、本紙が組み立てた架空の元神話の第二話。
水内町のお盆の夜に行われる、送りの作法。川に蓋をして下流(海=あの世への道)を失った町が、精霊送りの灯を反対の上流――川の源へ、一軒ずつ手渡しで上らせる。だが源とは水が生まれる方向で、送られた魂はあの世へ去れず、源の湧き水に溜まって還るとされる。灯を継ぐとき、後ろを振り返ってはいけない。
本紙・物部澪が唱える仮説概念。もし世界が膨大な計算で動くシミュレーションだとしたら、 見ていない間は描画が止まっていて、視線を戻した瞬間にだけ世界は大急ぎで「描き直し」をしている—— デジャヴは、目を離す前の古い記録と、描き直したばかりの新しい世界とがほんの一瞬だけ重なった 〈再描画の継ぎ目〉に触れた感触ではないか、とする本紙独自の空想。
山や町はずれに埋まっている、国の記録に載っていない標石。見た目は三角点とほとんど変わらないが、側面に数字が彫ってある――しかもマイナスの数字が。国の標高との差は、どの石でもぴったり1,540.00メートル。つまり、海面が今より1,540メートル高い世界から測った高さが刻まれている。黒須玄はこれを「標高の石ではなく水深の石だ」と呼ぶ。いつか水が戻り、この国が海の底に沈む日に、水深標として使うために埋められている――というのが彼の見立てである。石は隠されていない。基準点は「見つかって、動かず、何度でも訪ねられる」ことに意味がある道具だからだ。
水内町で、夏の午後だけ現れるとされる怪異。埋めた川の旧流路(暗渠通り)の上に、逃げ水(夏の道路の先に見える、近づくと逃げる水たまり=下位蜃気楼)ごしに、無いはずの町がゆらりと立ち上がって見える。その町には、川の源へ向かって黙々と歩く人影の列がある――逆送りで海(あの世)へ帰れず、水の生まれる側へ押し戻されつづける魂だとされる。近づくと逃げ、写真には写らない。列の一人だけが立ち止まり、見る者が「もう会えない人」と分かる顔で、こちらへ手を振るという。手のひらを外へ向けたその振り方は、「来い」ではなく「そっちにいなさい」――生者を巻き込むまいとする制止だと、宇野カケルは見立てている。
撤去された公衆電話の「欠番」にかけると、まれに話中音ではなく保留音が返る——その保留音の奥で、機械の声がつなごうとする番号。ただし内線(建物の中だけで通じる身内の番号)なので、表の電話からはかけられない。機関の連絡網に一つだけ閉じ忘れられた窓口、とされる。もちろん本紙の創作で、実際に試せる番号ではない。
小締町の商店街に残る、行き先のないQRコードにまつわる怪異。ポスターには「100人目のお客様に、粗品を差し上げます」と刷られている。読み取った人が百人に達すると、消えたはずの店のページが「営業中」で開き、その百人目が店の中へ取り込まれる。中では時間が流れず、商品も時計も古くならないが、店番だけが歳をとる。次の百人目が客として現れ、粗品を手渡しで受け取ったとき、前の店番は外へ出られる――そして、その客が新しい店番になる。約束は果たされるたびに、そっくり次の人へ引き継がれていく。
観測されるまで「いる/いない」が決まらない、宙ぶらりんの状態。視界の端をよぎる気配はこの相にとどまる存在で、まっすぐ見ると多くは「いない」側に決まってしまう——という、物部澪の思考実験。
暗渠(あんきょ)にされた水路の橋とともに、舗装の下へ埋められてしまった境界の神さま。深夜2時を過ぎると、横断歩道に十二本目の白線をそっと足す。渡る前に心の中で「お邪魔します」と挨拶すると、無事に渡らせてくれるという。
日本のどこかの山、標高千五百四十メートルの尾根にある古い石垣(架空)。地元では牧場が牛止めに積んだものだと思われており、そこから「牛垣」と呼ばれている。高さは一メートル四十センチほど。石を積み上げただけの壁で、山の斜面を上下せず、同じ高さを保ったまま延びていき、細い谷の出口で途切れる。この石垣につけた傷は、雨が降ると乳白色の詰めもので埋まって消える——ただし、牧場の人間が後から積んだ石段のほうは、何度雨が降っても埋まらない。黒須玄はこれを「波から陸を守るための壁(護岸)」だと見る。走っている高さが〈水深の石〉の示す機関の海面=渚と同じであり、しかも下の斜面を向いた面だけが波に洗われたように丸く磨り減り、一番上の石が下側へ軒のように張り出している。波が来るのは下からであり、壁が守っているのは山の上のほう。麓の町は壁の外側にある。
水内町を流れていた川。半世紀前に暗渠化(川に蓋をして地面の下の水路にすること)され、海へ下る下流を断たれた。逆送りが行われる旧流路。名前の"えな"には、赤子を包む胞衣(えな)=生まれてくることの連想が、そっと重ねられている。
日本のどこかにある、さびれた商店街を抱えた町。三年前に商店街の立て直しを狙って行われたキャンペーンのポスターが、いまも五十枚、貼られたままになっている。リンク先だった商店街のホームページは去年消え、QRコードはどこへもつながらない。それでも、読み取った人の数だけは、集計のサービスで増え続けている。雨のあとに歩くと、濡れた段ボールの匂いがする。
本紙の記者がたびたび取材に訪れる、架空の地方都市。かつて町じゅうにあった用水路の多くが高度成長期に暗渠化され、「水の記憶」が地面の下に眠っている。
日本のどこか、深い山に囲まれた盆地の底にある架空の電波望遠鏡跡。正式名は穂見(ほみ)電波観測所。二十年前に役目を終え、向きを変える仕組みが故障したまま、空のたった一点を見上げて錆びている。廃止される前の冬、その一点から一度だけ正体不明の信号が記録されたという。地球の自転で同じ空が正面に戻る夜を待てば、もう一度あの信号に会えるかもしれない——宇野カケルがそう信じて通う取材拠点。
日本のどこかにある峠(架空)。地図に載っている高さは1540メートル。ここに埋まっている石にだけ、「0.00」と彫られている。国の台帳に載っていないこの石の群れが、海面が1,540メートル高い世界の高さを刻んでいるとすれば、この峠こそが、その世界の渚――海と陸の境目にあたる。峠に水はなく、名前のとおり涸れている。周囲の高地には舟隠(ふながくし)・網掛(あみかけ)・磯口(いそぐち)といった、海辺を思わせる地名が残っている。
願いが叶うかどうかは、観測されるまで決まっていない——という見立てのもと、観測のタイミングを「いま」ではなく「未来」に予約しておく、天宮ルカの願望実現メソッド(理論編)。願いが叶ったあとの未来の自分が「叶った」と観測した瞬間に、いまの宙ぶらりんの願いがそちら側へ決まる、と考える。物部澪いわく「因果律的にはアウト、でもエンタメとしてはアリ」。
〈観測予約法〉を道具なしで実践する形。叶えたい願いを「叶いました!」と完了形で書き、SNSの予約投稿機能で未来の日付にセットする。予約した日が来て投稿が公開・通知されると、まるで願いを叶えた未来の自分から「叶ったよ」とお知らせ(プッシュ通知)が届いたように見える、という天宮ルカの仕掛け。やることは投稿するだけ、無料・安全。
願いごとを見直す日の間隔を、「毎週◯曜」ではなく十三日にする天宮ルカの願望実現メソッド。毎週同じ曜日に見直すと決めると、その曜日にある気の重さや用事と、百回のうち百回かち合ってしまう。間隔を素数の十三日にすると、毎回きっちり重なる用事は「十三日ごとに回っているもの」だけになり、そんな周期のものは暮らしの中にまずない——十三年・十七年という素数の周期で地上に出る周期ゼミの生き残り方が下敷き。十三日ごとに見直すと曜日が一日ずつ手前へずれ、七回で週の全曜日を通り、八回目(九十一日後)に最初の曜日へ戻る。この暦に並ぶ日を〈割り切れない日〉と呼ぶ。