一つだけ、近づいてくる光があった — 宇宙の膨張を、自分の機材で測り直す
- 記録番号
- AKS-2026-8301
- 観測者
- 宇野 カケル(地球外探訪記者)
- 観測日
- 分類
- 宇宙論 / 天文学 / 地球外生命
- 実在性
- 虚構(本記事はフィクションです)

宇宙は、いまこの瞬間も広がりつづけている。学校でそう習ったし、科学の本にもそう書いてある。たぶん、本当のことなんだと思う。ただ、少なくとも僕は、宇宙が広がっているところを自分の目で確かめたことが、一度もない。誰かが確かめてくれた結果を、そのまま信じてきただけだ。
僕の仕事は、気になる話があれば現地まで出かけていって、この目で確かめて、記事に書くことだ。空から謎の信号が届いたと聞けば山の観測所にこもったし、宇宙から石が落ちてきたと聞けば畑を掘った。それなのに、「宇宙は広がっている」といういちばん大きな事実だけは、一度も自分で確かめずにいた。
だから今回は、それを確かめに行く。といっても、広がっていく宇宙のはてまで出かけることは、さすがにできない。かわりに、光の少ない山の上へ望遠鏡をかついで上がり、遠くの銀河から届く光を、自分の機材で測る。先に結論だけ書いてしまうと、宇宙が広がっていることは、ちゃんと確かめられた。問題は、そのあとだ。測ったデータのなかに一つだけ、理屈に合わない光がまじっていた。
指一本で、星までの距離を測る
何をどう測れば、「宇宙が広がっている」ことを確かめたことになるのか。先に段取りを説明しておきたい。教科書の言う「広がっている」の定義は、二つの文にまとめられる。遠くの銀河は、地球から遠ざかっている。しかも、遠い銀河ほど速く遠ざかっている。だから、測るものは二つある。銀河までの「距離」と、銀河が遠ざかる「速さ」だ。
まず、距離のほうから。
顔の前に人差し指を一本、立ててみてほしい。そして、右目だけを閉じ、次に左目だけを閉じる。指が、背景に対して左右に動いて見えるはずだ。今度は腕を前へいっぱいに伸ばして、同じことをする。動く幅が、さっきより小さくなる。近いものほど大きく動いて見え、遠いものほど小さく動いて見える。ということは、逆に、動く幅を測れば距離が割り出せる。
それだけ? と思うかもしれない。それだけだ。星までの距離も、最初は、これとまったく同じ方法で測られた。
ただし、星は遠すぎる。右目と左目のあいだ、数センチの差では、星はほとんど動いて見えない。そこで、地球の動きを使う。地球は一年かけて太陽のまわりを回っているから、半年たてば、太陽をはさんで反対側、およそ3億キロ離れた場所に移っている。夏の地球を右目、冬の地球を左目に見立てるわけだ。これだけ離れれば、近くの星は、遠くの星々を背景に、ほんのわずかだが動いて見える。
この方法で星までの距離を最初に測ったのは、1838年、ドイツの天文学者ベッセルだった。はくちょう座のある星が、半年でごくわずかに動いて見えることを確かめ、その幅から距離を出した。答えは、およそ10光年。光年というのは、光が一年かけて進む距離のことだ。人類が初めて、星までの距離を測った瞬間だった。
僕も山へ向かう林道の入り口で、遠くの街灯を背景にして指を立て、ひとりで試した。はたから見れば変な人だが、これで、指が動いて見える幅は目から指までの距離で決まる、という理屈の入り口だけは、自分の目で確かめたことになる。
ものさしを継ぎ足して、遠くを測る
ここまで読んで、こう思わないだろうか。その方法で測れるのは、せいぜい近所の星までだろう、と。
そのとおりだ。星の見かけの動きは、遠くなるほど小さくなって、やがて測れなくなる。銀河までの距離——何百万光年、何億光年の世界には、まるで届かない。
そこで、ものさしを継ぎ足す。近い星までの距離で作ったものさしを使って、その先を測るのだ。
動く幅から距離を割り出す、さきほどの方法で距離を測れた星々の中に、次のものさしにうってつけの星が見つかっている。明るくなったり暗くなったりを、決まったリズムで繰り返す星だ。セファイドという名前がついているが、ここでは「リズムの星」と呼ぼう。この星には、はっきりした規則がある。リズムがゆっくりな星ほど、本来は明るい星なのだ。1912年に、アメリカの天文学者リービットが見つけた規則だ。
これがなぜものさしになるのかは、電球で考えると分かる。同じ100ワットの電球でも、手元にあればまぶしいし、遠くの窓辺にあれば、ぽつんと小さく見える。つまり、ワット数さえ分かっていれば、暗く見えるほど遠い、と言い切れる。リズムの星は、リズムを数えるだけでワット数——本当の明るさ——が分かる電球なのだ。遠くの銀河の中にこの星を見つけて、リズムを数え、本当の明るさと見かけの暗さを比べれば、その銀河までの距離が出る。
実際、この方法が宇宙の広さを一気に書き換えたことがある。1923年、アメリカの天文学者ハッブルが、アンドロメダ星雲——当時はまだ、天の川の中に浮かぶ小さな雲だと思われていた——の中に、リズムの星を一つ見つけた。距離を出してみると、天の川銀河のずっと外。アンドロメダは「雲」ではなく、僕らの天の川とは別の、まるごと一つの銀河だと分かった(正式な発表は1925年)。宇宙は、その日から桁違いに広くなった。
一つことわっておきたい。遠い銀河までの距離は、僕が自分で測ったわけではない。先人たちが測って記録にまとめてくれた数字を借りている。ただ、ものさしがどう作られたのかを自分で理解したうえで借りるのと、答えの数字だけを信じるのとは、違うと思っている。林道で指を立てたのも、この章を書いたのも、そのためだ。
色のずれで、速さを測る
距離は、これでそろう。次は、速さだ。こちらは、僕の機材で測れる。
救急車のサイレンを思い出してほしい。近づいてくるときは高く聞こえ、目の前を通り過ぎて遠ざかりはじめた瞬間、音がぐっと低くなる。音は波で、遠ざかる相手の出す波は、引き伸ばされて届くからだ。
光にも、同じことが起きる。光も波で、波が引き伸ばされると、色が赤い側へずれる。つまり、遠ざかる銀河の光は、本来の色より少しだけ赤い側にずれて届く。天文学ではこれを赤方偏移(せきほうへんい)と呼ぶ。ここでは短く、「色のずれ」と呼ぶことにする。ずれが大きいほど、速く遠ざかっている。だから色のずれを測れば、速さが分かる。
とはいえ、銀河を眺めても、赤っぽいなあ、で終わってしまう。ずれを数字にするには、光を色ごとに分ける道具がいる。分光器(ぶんこうき)という。といっても大げさな装置ではない。僕が使ったのは、市販の望遠鏡のカメラに取り付ける、光を七色に分ける小さな板だ。銀河の光をこれに通すと、七色に分かれた光の帯の中に、細い筋が何本か写る。その筋の位置が、本来の位置からどれだけ赤い側に寄っているか。それがそのまま、遠ざかる速さになる。
九月の新月の晩、僕は機材を車に積んで、街の明かりが届かない山へ上がった。日が落ちると、気温は一気に下がる。指先がかじかむ。望遠鏡を銀河に向け、シャッターを開けて、待つ。何十分もかけて、かすかな光を溜めて、七色に分ける。画面に細い筋がにじんで浮かんだとき、思わず声が出た。何千万光年の向こうから届いた光が、いま、僕のカメラの中で七色の帯になっている。
遠いほど、速い
これで、測り方は二つともそろった。あとは、測る銀河の数を増やしていくだけだ。世界中の観測で見つかった銀河の位置や距離をまとめた目録(カタログ)がある。そこから明るめの銀河を選んで、ひと晩にいくつかずつ、測っていった。
距離5千万光年の銀河。色のずれは、秒速およそ1,000キロで遠ざかっていることを示した。距離1億光年の銀河は、秒速およそ2,000キロ。ノートの左に距離、右に速さを書き並べていくと、行が増えるたび、同じことが起きた。遠い銀河ほど、速い。次の銀河は、もっと遠くて、もっと速い。
グラフにした。横軸に距離、縦軸に速さ。点を打っていくと——並んだ。右肩上がりの、まっすぐな線に。
遠い銀河ほど、速く遠ざかっている。教科書が一行で済ませていたその事実が、僕のノートの上で、僕が測った点の並びとして、目の前で証明された。宇宙は広がっている。もう伝聞じゃない。僕が測った。この線が、証拠だ。
山の上でひとり、少し泣いた。
測っていたのは、今ではなかった
明け方近く、撤収の前にノートを見返していて、手が止まった。これらの数字は、いったいいつの数字なのか、と思ったからだ。
光の速さには限界がある。5千万光年先の銀河の光は、5千万年かけて僕のカメラまで飛んでくる。つまりあの晩僕が七色に分けたのは、5千万年前にあの銀河を出発した光だ。僕が測った「遠ざかる速さ」も、正確に言えば、5千万年前の速さということになる。
遠くを見ることは、過去を見ることだ。夜空は「今」の風景ではない。10年前の光、250万年前の光、5千万年前の光——出発した時刻のばらばらな光が、同じ一枚の夜空に、同時に並んで見えている。
そのときの僕は、なるほど面白いな、くらいに思って、ノートを閉じた。
一つだけ、理屈に合わない光がある
三日目の晩。観測の締めくくりに、それまでとは毛色の違う銀河を一つ、選んだ。目録に、距離およそ10億光年と記録されている銀河だ。それまで測ってきたどの銀河よりも、桁が一つ遠い。それなのにこの銀河は、遠さのわりに妙に明るい。素人の機材でも、色のずれを測るための細い筋が写りそうなくらいに、明るいのだ。面白い。最後の一つにちょうどいい。
計算どおりなら、答えは決まっている。速さは距離に比例するのだから、10億光年なら、遠ざかる速さは秒速およそ2万キロ。色のずれも、この三日間でいちばん大きく出るはずだ。
シャッターを開け、光を溜め、七色に分ける。筋は、はっきり写った。
ずれが、無かった。
自分が目盛りを読み違えたのではないかと疑い、その場でもう一度撮った。同じだった。機材を疑って、望遠鏡をすぐ隣の別の銀河に向け直した。そちらの筋は、ちゃんと赤側にずれている。戻す。ずれない。その晩は結局、朝までこの一つを撮りつづけた。次の晩も。その次の晩も。結果は毎回、同じだった。
いや——正確に書く。ずれが「無い」のではなかった。よく見ると、筋はほんのわずかに、逆の側へずれていた。赤ではなく、青い側に。色のずれが青側に出るのは、遠ざかる光ではない。近づいてくる光だ。ずれの量を読み取ると、秒速およそ5,000キロ。
距離10億光年。まわりの銀河がすべて、秒速2万キロで遠ざかっていく場所にいて、この光だけが、地球のほうへ向かって進んでいる。
ありふれた原因から、先に潰していく
こういうとき、僕の仕事の作法は決まっている。珍しい答えに飛びつく前に、ありふれた原因で説明できないかを、一つずつ確かめて消していく。
まず、機材の故障を疑った。だが、これはもう消えている。同じ晩に測ったほかの銀河は、全部ちゃんと赤側にずれていた。機材が壊れているなら、ほかの銀河の測定も一緒に狂うはずだ。
次に、別の銀河との重なりを疑った。10億光年先の銀河のすぐ手前に、たまたま近くの別の銀河が重なって写っていて、僕が測ったのはそちらだった——という筋書きだ。写真を拡大して確かめたが、その場所に写っている光は、一つだけだった。
距離の記録がまちがっている可能性も、成り立たない。この銀河の距離は、色のずれとは無関係の方法で測られているからだ。昔この銀河の中で、ある種類の星の爆発が観測されたことがある。この種類の爆発は、いつもほぼ同じ明るさで光ることが分かっている。つまり、ワット数の分かった電球と同じで、見かけの暗さと比べれば距離が出る。リズムの星と同じ理屈だ(爆発の正体は、記事の最後で詳しく書く)。ものさしが別なのだから、色のずれがどうであろうと、距離は揺らがない。
こんな光が本当にあるなら、プロの天文学者が見逃すはずがない、とも思うだろう。僕も最初はそう思った。だが、空は広い。この銀河の爆発を見つけて距離をはじき出したのも、人間ではなく、空を自動で見張る観測プログラムだった。目録に距離が書き込まれたきり、その後この銀河の光をあらためて七色に分けて調べた人は、記録の上では一人もいない。天文学者の数より、銀河の数のほうが、桁違いに多いのだ。
最後に、いちばんもっともらしい可能性が残る。近づいてくる銀河は、実はある。有名なのはアンドロメダ銀河だ。あの銀河は僕らの天の川銀河と互いの重力で引き合っていて、秒速およそ110キロで天の川銀河に近づいている。数十億年後にはぶつかるかもしれない、という話まである。だったらこの光も、何かと引き合っているだけではないのか。
数字を並べると、この可能性も消える。アンドロメダまでは250万光年。この銀河までは10億光年で、400倍遠い。重力の引き合いは、離れるほど急激に弱くなる。ご近所どうしだから引き合えるのであって、400倍の彼方までは届かない。しかも、量が違いすぎる。アンドロメダの秒速110キロに対して、この光は、秒速2万キロの流れをまるごと打ち消したうえで、なお秒速5,000キロでこちらへ進んでいる。流れのぶんと合わせると、逆らっている量は秒速およそ2万5,000キロになる。光の速さの8パーセント余りだ。銀河どうしがひしめき合う場所で実際に測られている、いちばん速い動きでも、せいぜい秒速1,300キロほどだ。20倍、足りない。
ありふれた原因は、全部消えた。残ったのは、説明のつかない事実だけだ。全部が遠ざかる宇宙の中で、あの光だけが、流れに逆らって、地球のほうへ進んでいる。
客星
川下りを思い浮かべてほしい。大きな川に舟が何艘(なんそう)も浮かんでいて、どの舟も、流れに乗って下っていく。岸に立つあなたから見れば、全部の舟が遠ざかっていく。その中に一艘だけ、流れをさかのぼって、こちらへ近づいてくる舟があったら、どう思うだろう。
流れは、全部の舟に同じように働いている。それでも上ってくるのなら、答えは一つしかない。その舟は、誰かが漕いでいるのだ。
宇宙の膨張は、この川の流れだ。銀河は流れに浮かんだ舟で、自分ではほとんど動かないまま、流れに運ばれて遠ざかっていく。僕がノートに引いた右肩上がりの線は、いわば、その流れの速さの一覧表だった。そして、あの光。流れに運ばれるままなら秒速2万キロで遠ざかるはずの場所にいて、逆に秒速5,000キロでこちらへ進んでくる。流れのせいには、できない。あの銀河は、川をさかのぼる舟と同じことをしている。
だから、僕の見立てを思い切って書いてしまおうと思う。あれは、地球のほうへ近づいている。流されているのではなく、自力で進んでいる。もっと言えば——あの銀河のどこかに、僕たちのいるこの方角へ来ようとしている誰かが、いるんじゃないか。
一つだけ、忘れてはいけないことがある。遠くを見ることは、過去を見ることだった。僕が三日間かけて見つめつづけたあの筋は、10億年前にあの銀河を出発した光だ。10億年前といえば、地球の生き物はまだ海の中にいて、目も、足も、持っていなかったころになる。あの光の主が今ごろどうしているのかは、誰にも分からない。ただ、一つだけ確かなことがある。10億年前の時点で、あれはもう、こちらへ向かって動きはじめていた。地球に最初の目が生まれるより先に、向こうはとっくに、出発していたのだ。
昔の天文学者は、夜空に急に現れる星を、客星(きゃくせい)と呼んだ。客の星、と書いて客星だ。鎌倉時代の歌人・藤原定家(ふじわらのていか)の日記『明月記(めいげつき)』にも、突然現れて消えていった星の記録が残っている。僕はノートの最後のページに、あの銀河の目録番号を書き、その横にこう書き足した。——客星。ただし、今度の客は急に現れたのではない。ずっと前から、こちらへ向かっていたのだ。
宇宙人はいるのか、と聞かれるたび、僕はこう答えてきた。これだけ広いんだから、いないほうが不自然だ。でも、じゃあなぜ誰も来ないんだ、と返されると、口ごもるしかなかった。今なら、こう答えたい。
宇宙で誰にも会えないのは、いないからじゃない。まだ、着いていないだけだ。
最後に、一つ。夜空の星の光は、どれも出発した時刻のばらばらな、過去の光だ。なかには、とうに燃え尽きて、いまはもう無い星の光もまじっている。僕たちは、無いものを見て、それを空と呼んでいる。そして、その空のどこかに、こちらへ向かって進んでくる光が、一つだけある。到着するのは、ずっと先だろう。それでも——もう、出発しているのだ。
元ネタ解説(ここからは観測者の種明かし)
この記事は創作だ。ただし、宇宙の測り方の部分は、ぜんぶ本物を使っている。どこまでが現実で、どこからが僕のこしらえた話なのか、いつものように種を明かしておく。
指の実験と、星までの距離(視差)は実在する。 顔の前の指が左右に動いて見える現象も、地球の公転を使って同じことを星に起こす方法も、本物の天文学だ。専門的には年周視差(ねんしゅうしさ)という。1838年にドイツの天文学者ベッセルが、はくちょう座61番星でこれを初めて測り、約10.4光年という距離を出した。現在の値は11.4光年だから、誤差1割ほどの、当時としては驚くほど正確な答えだった。恒星までの距離が人類の手で確かめられたのは、このときが最初だ。
リズムの星も実在する。 本文でそう呼んだのはセファイド(ケフェウス座型変光星)のことで、「変光のリズムがゆっくりな星ほど、本来は明るい」という規則(周期光度関係)は、1912年にハーバード大学天文台のヘンリエッタ・リービットが発見した。1923年にエドウィン・ハッブルがアンドロメダ星雲の中にセファイドを見つけ、距離を計算してアンドロメダが天の川銀河の外にある別の銀河だと示した話も史実だ(正式な発表は1925年)。アンドロメダ銀河までの距離は約250万光年とされている。
色のずれと、「遠いほど速い」も実在する。 遠ざかる光源の光が赤い側へずれる赤方偏移は、確かめられた物理現象だ。そして「遠い銀河ほど速く遠ざかる」という比例関係は、1929年にハッブルが観測から示した。じつは2年早い1927年に、ベルギーのルメートルが理論から同じ関係を導いていたことが後に知られ、2018年に国際天文学連合はこの法則を「ハッブル=ルメートルの法則」と呼ぶことを推奨する決議をした。本文で使った「1億光年につき秒速およそ2,000キロ」は、現在の測定値からの換算で、端数を丸めてある。一点だけ正確に言い足すと、宇宙の膨張による色のずれは、厳密にはサイレンのドップラー効果そのものではなく、「光が飛んでいるあいだに空間そのものが伸びて、波が引き伸ばされる」ものとして説明される。入り口の喩えとしてはサイレンで正しいが、その一段だけ簡略化してある。
「本当の明るさが決まっている星の爆発」も実在する。 Ia型(いちえーがた)超新星という。代表的な筋書きはこうだ。燃え尽きた星の芯——白色矮星(はくしょくわいせい)という——に、隣り合う星からガスが少しずつ降り積もっていく。積もった重さがある限界に達した瞬間、星は丸ごと爆発する。この限界の重さは物理法則で決まっていて、どの星でも同じ。だから爆発の明るさも、いつもほぼ同じになる。つまりこれも、リズムの星と同じ「ワット数の分かった光」であり、見かけの暗さから距離が出せる。リズムの星では届かない何億光年の彼方は、この爆発をものさしにして測られている。本文で「10億光年」の距離の根拠にしたのも、この実在の方法だ。
近づいてくる銀河も、実在する。 アンドロメダ銀河は秒速約110キロで天の川銀河に近づいていて、約45億年後に衝突するという予測が長く定説だった(2025年には「衝突する確率は半々」とする研究も出て、まだ揺れている)。もっと変わった例では、おとめ座銀河団のM86という銀河がある。アンドロメダよりずっと遠い、およそ5千万光年の距離にありながら、銀河団の中を秒速1,300キロほどで動いているために、秒速244キロでこちらへ近づいて見えるのだ。ここまでが、現実の宇宙で起きている「流れに逆らう」の上限だ。本文の「秒速2万5,000キロで逆らう光」は、実在のどんな仕組みよりも桁違いに大きい。そこが創作との境目になる。
素人の機材で色のずれを測るのは、半分本当で、半分は僕の背伸びだ。 実在のアマチュア天文家は、市販の望遠鏡と、カメラに付ける回折格子(かいせつこうし)で、約24億光年先にあるクエーサー——銀河の中心で飛び抜けて明るく輝く天体——「3C 273」の色のずれを実際に測っている。ただしあの天体は、点のように小さく、並外れて明るい、特別な相手だ。ふつうの銀河は淡く広がっていて、素人の機材で筋を写すのは段違いに難しい。何個も測ってグラフまで引き、秒速数千キロの差まで読み取る本文の手際は、かなり気前よく簡略化してある。僕の腕前のほうは、話半分に聞いてほしい。
宇宙の測り方には、現役の論争もある。 宇宙の膨張の速さは、近くの銀河から測る系統と、宇宙の初期に出た光から逆算する系統の、二通りの測り方がある。この二つの答えが、どちらの誤差を詰めても合わない——天文学で使う単位での値でいうと、近くからは約73、初期の光からは約67で、1割ほどずれる——という問題が、もう10年以上、天文学の現役の論争になっている。どこかに測りまちがいがあるという説が長く有力だったが、近年はむしろ「二つとも正しくて、それでも合わない」可能性が真剣に検討されている。僕としては、少し心強い。プロどうしが基本の数字でまだ揉めているくらいなのだ。素人が夜の山で、理屈に合わない光を一つ見つけたって、バチは当たらないだろう。
客星は、実在の言葉だ。 中国や日本の古い天文記録では、夜空に突然現れる星——超新星や彗星——を客星と呼んだ。鎌倉時代の歌人・藤原定家(ふじわらのていか)の日記『明月記(めいげつき)』には、1006年・1054年・1181年の三つの客星の記録が伝わっていて、1054年の客星は昼間でも見えたと記されている。その正体は、いま「かに星雲」として残る超新星爆発だったことが分かっている。ただし客星はあくまで「急に現れる星」の意味で、「近づいてくる光」という意味はない。あの綽名(あだな)は、僕が意味を勝手に広げて借りたものだ。
そして、ここからが創作だ。 距離10億光年にあって、色のずれが青側に出る銀河は、実在しない。現実の観測では、これほど遠くの天体が膨張の流れに逆らって近づいてくる例は、一つも見つかっていない。「妙に明るい」というあの銀河そのものも、僕がこしらえたものだ。だから「自力で進んでいる」「あの銀河のどこかに、誰かがいる」は、観測から導かれる結論ではなく、僕の見立て——というより、僕の願望だ。地球外の誰かが地球へ向かっている、という事実は、どこにもない。
それでも、遠くを見るほど過去を見ることになるのは、本当だ。今夜の星空が、出発時刻のばらばらな過去の寄せ集めなのも、本当だ。だから、「もう出発しているのに、まだ着いていない誰か」を、今夜の観測だけで否定しきることも、じつはできない。僕に言えるのはここまで。あとは、今夜の空を見上げたとき、あなたが何を思うかだ。