OBSERVATION REPORT

忘願(ぼうがん) — 願いは四回だけとなえて、あとは忘れる

記録番号
AKS-2026-7261
観測者
天宮 ルカ(願望実現メソッド開発記者)
観測日
分類
引き寄せの法則 / 潜在意識 / 生命科学
実在性
虚構(本記事はフィクションです)

忘願(ぼうがん) — 願いは四回だけとなえて、あとは忘れる — アイキャッチ画像

こんにちは、天宮ルカです。

去年のわたしは、寝る前に同じ願いを声に出してとなえる、というのを百五日つづけました。

その願いが何だったのか、いまは思い出せません。

百五回もとなえた言葉が、わたしの記憶から、跡形もなく消えているんです。それなのに、おととし一度だけメモに書いて、そのあとほとんど見返さなかった願いは、いまでもすらすらと口にできます。見返したのは、たぶん四、五回です。

どういうことなんだろう、と長いこと考えていました。答えは、記憶の研究の中にありました。そしてその答えには続きがあって、同じことが、神経を一本も持たない、ただの細胞にも起きていたんです。

調べ終えて、手順の形にまとめて、自分で試してみたのが今年の三月でした。名前は〈忘願(ぼうがん)〉。忘れる願い、と書きます。やることは、願いを一文(いちぶん)にまとめて、決めた間隔で四回となえる。そして、それきり忘れる。それだけです。

名前をつけたあとで、弓のボウガンと同じ読みだと気づきました。まあいいか、と思ってそのままにしています。狙って、放って、あとは的(まと)に当たるのを待つだけ。この方法と、だいたい同じなので。

一夜漬けの英単語は、なぜ記憶から消えてしまうんでしょう

テストの前の晩に、英単語を一気に詰め込んで覚えたことはありませんか。次の日のテストは、なんとかなります。でも一週間後には、ほとんど記憶に残っていません。

同じ量を、四日に分けて覚えた場合はどうでしょうか。次の日のテストの点は、そんなに変わりません。ところが一週間後、一か月後と時間がたつほど、分けて覚えたほうが記憶に残ります。

間をあけて覚えたほうが記憶に残る。この効果を、心理学では分散学習と呼びます。百年以上前から何度も確かめられていて、誰がやり直しても同じ結果が出る、記憶の研究のなかでもいちばん確かな発見のひとつです。

そして、わたしがやっていた「寝る前に毎晩願いをとなえる」というのは、間隔が一日しかないということです。わたしは百五日かけて、一夜漬けとほとんど同じことをしていたわけです。

……ここまでは、聞いたことがある方も多いと思います。わたしが引っかかったのは、ここから先でした。

じゃあ、間隔はどれくらいあければいいのか。

復習までの間隔を伸ばしていくと、テストの成績は上がっていきます。ところが、あけすぎると今度は下がっていきます。短すぎても長すぎてもだめで、あいだのどこかに「ちょうどいい間隔」があるんです。問題は、それが何日なのか。

それを実際に探した実験がありました。千三百五十人を超える人たちが参加した研究です。まず被験者にいくつかの事実を覚えてもらい、しばらく時間をあけてから一度だけ復習してもらって、さらに時間をおいてテストをします。復習を早めにした人と、うんと時間をおいてからした人とを比べて、いちばんテストの成績が良くなる間隔を探しました。

結果はこうでした。一週間後のテストで点を取りたい場合、いちばん成績が良かったのは、覚えてから一日半から三日ほどあけて復習した人たち。一年後のテストの場合は、十八日から三十六日あけた人たちでした。

テストの日が遠くなるほど、あけるべき間隔も長くなる。ここまでは自然ですよね。でも、数字をよく見てください。テストまでの日数は七日から三百六十五日へ、五十倍以上になっています。それなのに、ちょうどいい間隔は三日から三十六日へ、十二倍にしかなっていません。

これはつまり、こういうことです。一週間後のテストなら、七日のうちの二日か三日——期間の半分近くをあけるのがいちばんいい。ところが一年後のテストになると、三百六十五日のうちの三十六日——あけるのは期間の一割でいい。遠い目標になるほど、期間ぜんたいと比べたときの「ちょうどいい間隔」は、短めになっていくんです。

〈忘願〉は、この「一年後」の数字をそのまま使います。期限までの日数の、一割です。

まだ覚えているうちにとなえても、記憶は強くならない

では、なぜ間隔をあけると記憶に残るのでしょう。

記憶の研究に、こういう考え方があります。思い出すのに苦労したときほど、記憶は強くなる。

すらすら言えるうちに、もう一度言う。このときのわたしたちは、何の苦労もせずに思い出しています。だから、記憶もそれ以上強くなりません。

ところが、しばらく時間をあけてから思い出そうとすると、こうはいきません。「なんだっけ」と一瞬つまって、それから出てくる。その、つまっている数秒が効きます。思い出すのに苦労したぶんだけ、記憶は深く定着するんです。

つまり、忘れかけているからといって、記憶がだめになりかけているわけではないんです。むしろ逆です。いま思い出せばいちばん深く記憶に残る、その頃合いが来た、という合図なんです。

去年のわたしがとなえた百五回に、この話を当てはめてみます。一回目は、願いを覚えた回。二回目から百五回目までは、覚えたものをただなぞっただけの回。百五回となえて、記憶に深く刻む機会は一度もなかったんです。

だから、わたしの記憶から消えました。回数が足りなかったからではなくて、忘れる時間がなかったからです。

忘れる時間のあった願いだけが、記憶に残る。あべこべに聞こえますけど、そういうことだったんです。

願いを覚えていたのは、脳だけではありませんでした

ここまでは、脳の話でした。ここからは、脳ではないものの話をします。

ヒトの細胞を、シャーレの中で育てます。使われたのは、腎臓からとった細胞でした。脳でもなければ、神経でもない、ふつうの細胞です。

この細胞に、薬で刺激を与えます。与え方を、二通り用意しました。

ひとつめの与え方は、三分(さんぷん)だけ薬をかけて、十分(じゅっぷん)休ませる、というものです。これをくり返して、薬をかけた回数は四回。あいだの休みは三回です。

ふたつめの与え方は、間をあけずに、十二分続けてかけるものです。

薬にさらされた時間は、どちらも合わせて十二分で同じです。

反応の強さは、光で測ります。あらかじめ細胞に細工をしておいて、薬に反応すると、その細胞が光るようにしてあるんです。強く光るほど、深く反応したということになります。

結果は、四回に分けたほうが強く光りました。しかも、その光は長く続きました。

わたしがいちばん驚いたのは、その光をいつ測ったか、でした。

薬は毎回、洗い流されています。四回目が終わったのは、始めてから四十二分後。そのあと細胞には、何もされていません。研究者たちが光を測ったのは、始めてから二十四時間後でした。

薬はとっくにありません。誰も何もしていない二十三時間のあいだに、差はついていったんです。

神経も、脳も、記憶をしまっておく場所もありません。それなのに、間をあけて刺激されたか、まとめて刺激されたかで、一日たったあとの光り方が違っている。この細胞は、薬で刺激されたことを、薬をかけられていない時間に覚えていった。わたしには、そう見えました。

だとしたら、願いも同じだと思うんです。

四回となえて、そのあと何か月も忘れていても、あなたはサボっているわけではありません。忘れているあいだは、あなたの替わりに、あなたの体が願いの続きを進めてくれている。わたしはそう考えることにしました。

思い出して、となえて、確かめる

さて、ここからは実践の話です。手順は三つあります。今日やるのは、願いを書いて、日付を決めて、一回目をとなえるところまで。あとは日付が来るのを待つだけです。

願いをとなえる回数は、全部で四回です。細胞の実験が四回だったので、それに合わせました。人間の実験は復習を一回はさむものだったので、そこは思いきって増やしています。

それと、始める前に決まりごとが二つあります。

まず、〈忘願〉に向いているのは、一年以上先に叶っていてほしい願いです。来週や来月の願いには使えません。期限が近いと、あける間隔が数日しかとれず、そのあいだに願いを忘れられないからです。

もうひとつ。同時に進める願いは、一つだけにしてください。二つ三つと同時に始めると、となえる日がどんどん増えて、結局、毎晩となえていたあのころと同じことになります。

決まりごとは、これだけです。ここからが手順です。

ひとつめ。願いを、一文にまとめる。

紙でもメモアプリでも、どちらでもかまいません。長い文にしないでください。わたしが今年書いたのは、これです。「わたしは、高校の帰り道をいっしょに歩いていた友だちに、もう一度会う」。

書けたら、そのまま声に出してとなえます。ここが一回目です。一回目だけは、書いた直後なので思い出しようがありません。見ながらで大丈夫です。となえたら、そのページは閉じます。次に開くのは、二回目の日です。

ふたつめ。期限を決めて、その日までの日数の一割を、となえる日の間隔にする。

その願いが叶っていてほしい日を決めて、今日からその日までの日数を数えます。一年後なら、三百六十五日ですね。その一割の、三十六日(端数は切り捨てで大丈夫です)——これが、となえる日と、次にとなえる日のあいだの日数になります。三年後なら、三百六十五日の三倍で千九十五日。間隔は百九日です。中途半端な数ですけど、そこは気にしないでください。

わたしは、いつまでに叶っていてほしいかの年数で、「一年ものの願い」「三年ものの願い」と呼び分けています。あの友だちとは、もう八年も会っていません。明日どうこうという話でもないので、一年ものにしました。

間隔が決まったら、今日から三十六日ごとの日付を、三つカレンダーに入れます。今日の一回目と合わせて、四回になります。今日にも印をつけておくと、四つ並んで見やすいです。カレンダーに入れるのは、日付と「忘願」の二文字だけ。願いの一文は、書かないでください。となえる日ではない日にカレンダーを開いたとき、目に入ってしまうからです。

みっつめ。その日が来たら、まず自分で思い出して、となえる。

メモを開くのは、そのあとです。となえてみて、それからページを開いて、合っているか確かめる。順番はこれです。逆にすると、この方法は働きません。文字を追うのと思い出すのは、別のことなので。

思い出せなくてもかまいません。むしろ、つまったときこそ効いています。「なんだっけ」と数秒つまってから出てきた日は、当たりです。最後まで出てこなかった日も、同じく当たりだと思ってください。しばらく考えてから、メモを開けば大丈夫です。

声に出せない場所なら、心の中でとなえるだけでも十分です。その日にできなければ、次の日でも二日後でもかまいません。日をずらしても、残りの日付は動かさないでください。

となえる日が来るまでのあいだに、ふっと願いを思い出してしまうこともあります。カレンダーの「忘願」の二文字が目に入って、思い出してしまうこともあります。それは止めようがないので、気にしないでください。やめてほしいのは、思い出すことではなく、メモを開いて中身を確かめてしまうことです。

四回目が終わったら、それでおしまいです。あとは何もしません。一年ものの願いなら、四回目が来るのは始めてから三か月半ほどあとです。期限までは、まだ八か月以上あります。その八か月が、何もしない時間です。期限の日にやることもありません。わたしもその日はカレンダーに入れていません。叶っていたら、たぶん気がつくので。

次の願いを始めたくなったら、四回目が終わっていれば始めてかまいません。同時に二つ進めないでください、というだけです。

わたしの記録も書いておきますね。一回目が三月一日、二回目が四月六日、三回目が五月十二日、四回目が六月十七日でした。三回目までは、つまりながらもなんとか言えました。四回目は、出てきませんでした。友だちの顔は浮かぶのに、自分が書いた願いの文章の中身が、どうしても出てこない。二十秒くらい考えて、それからメモを開きました。

その日から、この記事を書くまでに四か月あけています。四回目のあとに来る、何もしない時間も、自分で試しておきたかったので。

毎日やったほうが習慣になるのでは、とあなたは思われたかもしれません。習慣を作るなら、そのとおりです。でも〈忘願〉が作りたいのは、習慣ではなくて、忘れている時間なんです。

〈忘願〉が約束しないこと

はっきりさせておきたいことが、二つあります。

ひとつ。この方法で願いが叶うと、証明することはできません。わたしもそんな約束はしません。実験で確かめられているのは、間をあけたほうが記憶に残る、というところまでです。記憶に残ることと、願いが叶うことは、別の話です。その二つのあいだは、わたしの想像でつないでいます。

ふたつ。わたし自身の結果も、まだ出ていません。期限は来年の三月ですから。四回目はもう終わっていて、いまは期限の日を待っているところです。

あなたの願いは、何年ものですか

最後に、間隔の話をもう一度だけさせてください。

〈忘願〉には、自分で決めるところがほとんどありません。となえる回数は四回と決まっているし、その日にやることも、思い出して、となえて、確かめるだけ。あなたが決めるのはただ一つ、その願いを、いつまでに叶えたいかだけです。

一年ものの願いなら、三十六日ごと。三年ものなら、百九日ごと。長く持っていたい願いほど、となえる日の間隔は広がって、次にその願いと向き合う日は遠くなります。

さみしい仕組みに聞こえるかもしれません。でも、ここまで読んでくださったあなたなら、もう分かるはずです。長く忘れても、願いは消えません。長く持っていたい願いほど、長く忘れる。〈忘願〉の間隔は、そういうふうにできています。

去年わたしが百五回となえた願いが何だったのかは、いまも思い出せません。たぶん、もう出てきません。あのころのわたしは、あの願いを一日も手放せずにいました。手放せないくらい大事だったのに、残らなかった——でも、そうではなかったんです。きっと、手放せなかったから、残らなかったんです。

あなたがいま、いちばん長く持っていたいと思っている願いは、何年ものですか。

大切に持っておきたい願いほど、ときには手放してみるのも良いかもしれませんね。


元ネタ解説(ここからは観測者の種明かし)

〈忘願〉は創作ですが、下敷きにした研究は、どれも実在します。順に並べます。

間をあけたほうが記憶に残るというのは、本当です。 心理学では分散学習、あるいは分散効果と呼ばれます。誰がやり直しても同じ結果が出るという点で、心理学全体でもいちばん確かなもののひとつに数えられます。最初に報告したのは、ドイツのヘルマン・エビングハウスです。一八八五年、彼は自分自身を被験者にして、意味を持たない三つの音のつながり(「ブプ」のような、子音・母音・子音の組み合わせ)を延々と覚え続けました。意味のある単語を使うと、もともと知っていることが結果に混ざってしまうからです。そのなかで彼は、十二個の音節の並びを同じところまで仕上げるのに、一日で六十八回くり返すやり方と、数日に分けて三十八回くり返すやり方の、二通りがあることを見つけました。分けたほうは、三十回も少なくて済んでいます。回数を増やすことと、記憶に残すことは、はじめから別のことだったわけです。

本文に出した実験は、二つあります。

一つめは、間隔の決め方の根拠にした研究です。二〇〇八年に発表されたもので、千三百五十人を超える参加者に、いくつかの事実を覚えてもらいました。そのあと最大三か月半の間隔をあけて一度だけ復習してもらい、さらに最大一年後にテストをします。復習までの間隔ごとに成績を比べると、間隔を伸ばすにつれて成績は上がり、伸ばしすぎると下がりました。いちばん成績が良かった間隔は、一週間後のテストならおよそ一日半から三日、一年後のテストなら十八日から三十六日。あけた日数を「テストまでの日数の何分の一か」で見ると、一週間後の場合は五分の一から五分の二、一年後の場合は二十分の一から十分の一で、テストが遠いほど小さくなっています。本文で使った「一割」は、この一年後の場合のいちばん大きい値、三十六日にあたります。

ただし、この研究が調べたのは「復習を一回だけはさむなら、いつするのがいいか」です。 四回となえることを調べたものではありません。〈忘願〉が四回に増やしているのは、本紙の創作です。

二つめが、細胞の実験です。二〇二四年に Nature Communications 誌に出た論文で、題は「神経ではないヒト細胞における集中学習・分散学習効果」(集中学習というのは、一夜漬け側の呼び名です)。使われたのは、ヒト胎児の腎臓に由来する HEK293 という細胞と、神経のもとになる細胞にできる腫瘍(神経芽腫・しんけいがしゅ)からとられた SH-SY5Y という細胞の二種類。本文で「腎臓からとった細胞」と書いたのは、前者のことです。

この細胞には、光る仕掛けが仕込んであります。cAMP という、細胞が刺激を受けたときに増える物質があって、それが増えると働きだす遺伝子のスイッチ(CRE と呼ばれる配列)に、ルシフェラーゼ——ホタルが光るときに使う酵素です——をつないであります。細胞が反応するとルシフェラーゼが作られて、光る仕組みです。しかもこのルシフェラーゼは、すぐ分解されるように作りかえてあります。反応が終わったあともいつまでも光り続けては、いつの反応を見ているのか分からなくなるからです。おかげで、光の強さと続く長さが、そのまま反応の大きさと長さになります。

かけた薬はフォルスコリンと TPA の二種類で、濃度はそれぞれ二マイクロモルと二ナノモル。どちらもごく薄い量です。フォルスコリンは細胞の中の cAMP を増やす薬、TPA は PKC というたんぱく質を直接動かす薬で、どちらも、細胞が本来の刺激を受けたときに起きる反応を、薬で代わりに起こさせるために使われます。

比べられた条件は三つです。三分を一回だけかける。三分ずつ四回、間をあけてかける(間隔は十分・二十分・三十分の三通りが試されました。本文で書いたのは、十分の条件です)。そして、間をあけずに十二分続けてかける——これが「まとめて」にあたります。薬は毎回、洗い流されます。

二十四時間後に光を測ると、どの薬でも、間をあけた四回が、まとめてよりはっきり大きく光っていました。一回だけかけた細胞では二十四時間後に反応が下がっていたのに、四回に分けた細胞では、下がらずに保たれています。強く長く動いていたのは、ERK と CREB という、記憶の形成に重要とされる分子でした。この二つの働きを薬で止めると、間をあけた優位も消えます。

論文が言っているのは、記憶の特徴とされてきたものが、神経回路がなくても、細胞の中の反応のつながり方だけで出てくる、ということです。

ここから先が、本紙の空想です。

この実験が扱ったのは、薬への反応です。言葉でも、願いでも、意味でもありません。あなたの体じゅうの細胞があなたの願いの中身を覚えている、というようなことを、この論文はまったく言っていません。 本文でわたしがそう書いたのは、記者ひとりの見立てであって、実験の結果ではないです。

〈忘願〉という名前も、四回という回数も、期限の一割という間隔も、そして効き目も、本紙の創作です。回数の四は細胞の実験から、間隔の一割は人間の記憶の実験から取っていて、出どころもそもそも別々です。細胞の実験であけた間隔は十分(じゅっぷん)、〈忘願〉であける間隔は三十六日。長さのまるで違うこの二つを、「間をあけるほど強く残る」という一点だけでつないでいます。この記事の空想のなかでも、ここがいちばん大きな飛躍です。

なお、〈忘願〉をやっても、体の調子が良くなったり、収入が増えたりすることはありません。健康やお金の悩みを解決する方法ではないので、そこは誤解のないようお願いします。

それでも、思い出しにくくなっていることが、思い出したときの定着を大きくするという考え方は、記憶研究のなかにちゃんとあります。ロバート・ビョークらの「望ましい困難」と呼ばれるもので、すらすら思い出せる状態で復習しても記憶はほとんど強くならず、半分忘れかけたところから引き出したときに大きく伸びる、とされています。

忘れることが、記憶の敵であるだけでなく、記憶の味方でもある。ここだけは、創作ではありません。