空っぽな場所ほど、時間は速く進む — 宇宙の膨張を速める〈ダークエネルギー〉は、無いのかもしれない
- 記録番号
- AKS-2026-6982
- 観測者
- 物部 澪(超科学翻訳記者)
- 観測日
- 分類
- 宇宙論 / 理論物理学 / 相対性理論
- 実在性
- 虚構(本記事はフィクションです)

あなたの頭は、あなたの足より、わずかに速く歳をとっています。たとえ話ではありません。二〇一〇年にアメリカの研究所がこれを実際に確かめ、「あなたの頭は、足より年上である」という見出しで発表しました。
実験そのものは、拍子抜けするほど単純な手順でした。桁違いに精度の高い時計を二台並べ、片方だけを三十三センチ持ち上げる。手を加えたのは、その高さだけです。すると、高いほうの時計が、わずかに速く進みはじめました。
差はごくわずかです。この高さなら、七十九年——人の一生ぶんを過ごしても、開く差は一億分の九秒。体で感じ取れる量ではありません。
ですが、その差は確かにあります。では、この感じ取れないほどの差を、宇宙の大きさと、宇宙の年齢のぶんだけ積み上げたら、何が起きるでしょうか。
先に、結論だけお伝えしておきます。宇宙には、その膨張を年々速めている正体不明の力があると考えられていて、〈ダークエネルギー〉という名前が付いています。正体が見えないままなので、「ダーク」です。「場所によって時間の進み方が違う」という冒頭の事実を、宇宙の大きさまで積み上げていった先で——このダークエネルギーが、なかったことになるかもしれないのです。
一生ぶんで、どれだけの差になるのか
まず、時計を置く高さを、三十三センチから思い切って上げてみましょう。
東京スカイツリーの展望台は、地上から四百五十メートルの高さにあります。二〇二〇年、日本の研究チームが、持ち運べる高精度の時計を二台つくり、一台を地上に、もう一台をこの展望台に置いて、進み方を比べました。結果は、展望台の時計のほうが一日あたり十億分の四秒だけ速い、というものでした。
これも一生ぶんに直してみます。展望台で七十九年を過ごした人は、地上で過ごした人より、およそ一万分の一秒だけ先へ進みます。三十三センチのときが一億分の九秒でしたから、千倍ほどに増えました。
もっと上へ行きましょう。カーナビにあなたの居場所を教えているGPS衛星は、地上二万キロあまりの上空を回っています。ここまで来ると、時計の差は一日で百万分の三十八秒。一生ぶんなら、一秒あまりです。ただし衛星は、猛烈な速さで飛んでいます。速く動くものの時計は、それだけで少し遅れます。これも実際に測られていることです。一秒あまりというのは、高さのぶんと、速さのぶんを差し引きしたあとの数字になります。
一秒。ようやく、数字として実感できる大きさになりました。
そして、これは理屈だけの話ではありません。あなたが毎日開いている地図アプリの中で、現に使われている話です。衛星の時計と地上の時計がずれたままだと、あなたの位置は割り出せません。ずれを放っておけば、地図に出る居場所は一日あたり十キロずつ狂っていきます。だから衛星の時計は、進みすぎるぶんをあらかじめ差し引いた状態で打ち上げられ、打ち上げのあとも、衛星を運用するアメリカの管制チームが、地上から毎日ずれを補正し続けています。あなたが地図の上の青い点を信じていられるのは、管制チームが毎日この引き算をしているからです。
さて。では、なぜ高いところの時計は速いのでしょう。
速さを決めているのは、くぼみの深さ
物が集まっているところでは、そのまわりの空間にくぼみができます。地球のような大きな塊があれば、その周囲には深いくぼみができ、まわりの空間は、その底へ向かってなだらかに傾きます。そして、くぼみの深いところに置かれた時計ほど、ゆっくり進みます。
大事なのは、その深さが何で決まるかです。くぼみの深さは、どれだけの量の物が、どれだけ近くにあるかで決まります。量が多いほど深く、近いほど深い。
これで、さきほどの話がつながります。展望台の時計が速いのは、高いからではありません。地球という同じ一つの塊から、四百五十メートルだけ遠いからです。遠ざかったぶん、そこのくぼみが浅くなった。だから速くなった。
ここで一つ、よくある誤解を正しておきましょう。「重力が強い場所ほど時間が遅い」と説明されることがありますが、これは正確ではありません。時計の速さを決めているのは、くぼみの深さであって、斜面の急さ——引っぱられる力の強さ——ではないのです。
いちばん分かりやすい例が、地球の中心です。そこに物を置くと、あらゆる方向から均等に引っぱられるので、引っぱられる力は差し引きゼロになります。それでも地球の中心は、くぼみのいちばん底です。つまり、地球で最も時計の遅い場所は、力がまったくかからない場所なのです。
では、まわりに物がほとんど集まっていない場所では、何が起きるのでしょうか。
宇宙の八割は、空っぽである
宇宙の銀河は、どこにでも均等に分布しているわけではありません。無数の銀河が細い糸のように連なって、巨大な網目をつくっています。そして網目である以上、糸と糸のあいだには大きな隙間があります。この隙間を、天文学では超空洞(ちょうくうどう)と呼びます。ここでは短く、空洞と呼ぶことにします。
では、その空洞は、宇宙のどれくらいを占めているのでしょう。体積で言えば、およそ八割です。にもかかわらず、そこに入っている物質は、宇宙全体の七分の一ほどしかありません。私たちが「宇宙」と聞いて思い浮かべる星や銀河は、残り二割の体積のほうに、ぎゅうぎゅうに詰め込まれているわけです。
極端な例を一つ挙げます。うしかい座の方向に、直径三億三千万光年という、途方もなく大きな空洞があります。一九八一年に見つかったもので、その大きさなら本来二千個ほどの銀河があるはずなのに、実際に見つかっているのは六十個ほどです。もしそこに文明があったなら、自分たちの銀河のほかにも銀河があると気づくまでに、ずいぶん長くかかったことでしょう。
ここは、くぼみのいちばん浅い場所です。まわりに引っぱるものが、ほとんどないのですから。
では、そこの時計は、どれだけ速く進んでいるのでしょうか。
十数万年と、四十億年
素直に計算してみます。空洞の中と、銀河の詰まった私たちの側とで、くぼみの深さがどれだけ違うか。そこから時計の差を出し、宇宙が始まってから今日までの百三十八億年ぶんを、まるごと積み上げる。
すると、出てくる答えは、十数万年です。空洞の時計は、私たちの時計より、十数万年ぶんだけ先へ進んでいる——百三十八億年に対する十数万年は、一年に対する数分のようなものですから、あってもなくても変わらない差、と言っていいでしょう。
ところが、です。この時計の差を真剣に計算し直した研究者たちがいます。のちほど詳しく紹介する、宇宙論の定説に異を唱えている人たちです。その見積もりでは、差は四十億年を超えます。十数万年と、四十億年。桁が四つも合いません。
食い違いの原因は、何を積み上げるかにありました。
さきほど私が積み上げたのは、いまこの瞬間の、くぼみの深さの差です。研究者たちが積み上げたのは、くぼみが浅くなっていく速さの差でした。
どういうことか。空洞には、まわりに引きとめるものがありません。だから空洞は、銀河の詰まった場所よりも、勢いよく広がってきました。ここで、広がるとは何かを思い出してください。そこにある物どうしが、たがいに遠ざかっていくということです。物が遠ざかれば、たがいに作っていたくぼみは、そのぶん浅くなります。つまり空洞は、銀河の詰まった場所よりも早く、くぼみを失いつづけてきたのです。
一日ぶんの差は、相変わらず微々たるものです。ですがこの差は、宇宙が始まった日から今日まで、百三十八億年のあいだ積もり続けてきました。その合計が、四十億年です。
四十億年。地球が生まれてから今日までに近い長さの時間が、宇宙のどこに立っているかで変わってしまうのです。
では、これほど大きな差になりうる話が、なぜ宇宙論の定説になっていないのでしょうか。
ならして計算する、という前提
理由は、宇宙を計算するときの約束事にあります。
でこぼこした土地の面積を測るとき、石ころの一つひとつまで形をなぞる人はいません。全体を平らにならした面として計算します。宇宙の計算でも、同じことをします。空洞と、銀河の詰まった場所のでこぼこを、いったんならして、「宇宙はどこもだいたい同じくらいの詰まり具合だ」として解くのです。そうしなければ、計算が終わらないからです。
このやり方は、驚くほどうまくいってきました。ただし、ならした瞬間に消えるものがあります。場所ごとの時計の差です。どこも同じ詰まり具合なら、くぼみの深さも同じで、浅くなっていく速さも同じ。差は、はじめから無かったことになるわけです。さきほどの四十億年は、ならすか、ならさないかで、あったりなかったりする数字なのです。
ここで、一九九八年の話をします。このならして計算するやり方が、宇宙の見方をひっくり返す発見につながった年です。
遠くの銀河で起きた星の爆発を観測していた二つのチームが、そろって妙なことに気づきました。その爆発が、予想より暗かったのです。この種の爆発は、どれもほぼ同じ明るさで光ることが分かっており、宇宙のものさしとして使われています。暗いということは、思っていたより遠いということです。
計算し直して出てきた結論は、宇宙が広がる速さは落ちていくどころか、上がっている、というものでした。何かが、宇宙の広がりを年々速めている。——この「何か」こそ、冒頭でお伝えしたダークエネルギーです。正体の見当はいまも付いていないまま、その量だけが、宇宙にあるエネルギーの七割ほどと見積もられています。
ここまでが、今までの宇宙論における定説です。ダークエネルギーがある、とする側の話でした。
ここからが、ダークエネルギーは要らない、とする側の話です。さきほど四十億年という数字を出した、あの研究者たちの主張がこれにあたります。銀河の中にいる私たちの時計は、宇宙全体をならした時計に比べると、遅れて進んでいる側です。その遅い時計の目盛りで、私たちは遠くの爆発までの距離を測ってきました。でこぼこをならさずに計算し直すと、爆発が暗すぎた——つまり遠すぎた——のは、宇宙の膨張が速くなっているからではなく、この目盛りのずれのせいだった、という説明がつくというのです。
もしこの主張が正しければ、ダークエネルギーは、そもそも要らなくなります。
これは少数派の説です。近年、過去の爆発のデータを並べ直して「こちらのほうが当てはまりがよい」とする論文が出て話題になりましたが、同時に、統計の扱いへの批判も出ました。決着はついていません。
ただ、私が引っかかっているのは、そこではないのです。この説が正しいかどうかとは別に、問いが一つ残ります。
——場所によって時間の進み方が違い、その差が何十億年ぶんも積み上がる。これは、宇宙の大きさでしか起きないことなのでしょうか。
町の大きさで、同じことを考えてみる
ここまでは、実際の測定と、実際にある論争の話でした。ここから先は、本紙だけの空想です。
私はこの論争を調べているあいだ、ずっとある場所を思い浮かべていました。銀河が抜けていく空洞と同じように、人が抜けていく場所——地方の、小さな町です。もちろん、現実の物理では、町から人が減ったくらいで時間の進み方は変わりません。地上のくぼみは、ほとんど地球一個が作っているもので、人ひとりが作るくぼみは、あってないようなものだからです。それを承知のうえで、一つだけ仮定を追加します。
くぼみの深さを決めているのは、物の量と、その近さでした。では、くぼみを深くするものが、物の量だけでなく、もう一つあったとしたら。——そこに居合わせて、まわりを見ている観測者の存在そのものと、その場所に注がれている人の想いです。物が集まれば、空間がくぼむ。それと同じように、見ている人が集まり、想いの注がれた場所は、時間にだけ効くくぼみが深くなる——そう仮定してみるのです。
単位は、家ではなく町で考えます。そうすると、宇宙の空洞と銀河の網目が、そのまま重なります。人と店がぎゅうぎゅうに詰まり、無数の目と想いがひしめく都会は、くぼみの深い、銀河の側にいます。人が出ていき、見る目が減り、店のシャッターが下りていく町は、空洞の側にいます。
そして空洞の側では、時間が速く進みます。
ただ、この話には厄介な性質があります。中にいる人は、それに気づけません。自分の腕時計も、駅の時計も、隣の家の柱時計も、みんな同じだけ速く進んでいるからです。速いかどうかは、比べるものがあって初めて分かります。町の中に、比べるものはないのです。
ずれに気づけるのは、誰か
その比べるものは、長いあいだ町を離れていた人が、久しぶりに帰ってきたときに生まれます。町の外の時間を生きてきた人と、町の中の時間を生きてきた人が、顔を合わせる。別々の速さで流れてきた二つの時間が、ここで初めて突き合わされるのです。
あなたが実家の玄関を開けるのは、たぶん、そういう瞬間です。
あなたは、親が老けたと感じます。写真で見た姿より、電話で聞いた声より、少しだけ先へ行っている。一方、迎えた親のほうは、あなたを見て「変わらないねえ」と言うでしょう。二人は別々のことを感じているのではありません。同じ一つのずれを、両側から見ているのです。
では、その町の時間を速めたのは、誰だったのでしょう。——一人、確実に数えられるのは、町を出た、あなた自身です。あなたが出ていった日、あの町を見ている観測者が一人減り、町に注がれる想いも、そのぶん減りました。町のくぼみは少しだけ浅くなり、時間は少しだけ速くなったはずなのです。
久しぶりに実家へ帰って、親が思っていたより歳をとって見えたなら。——もしかしたらそれは、あの町の時間が、あなたの時間より少しだけ速く流れていたからかもしれませんね。
元ネタ解説(ここからは観測者の種明かし)
この記事は創作です。ただし途中までは、実在の観測と、実在の論争を土台にしています。順に切り分けていきます。
頭は足より年上、という話は実在します。二〇一〇年、アメリカ国立標準技術研究所(NIST)が、アルミニウムイオンを使った二台の光時計を三十三センチの高低差で比べ、高いほうが速く進むことを確かめました。「NISTの時計実験は、あなたの頭が足より年上であることを実証した」という見出しは、研究所自身が発表に付けたものです。七十九年で約九十ナノ秒(一億分の九秒)という数字も、この発表に出てきます。ただし九十ナノ秒は三十三センチという実験装置の高低差に対する値であって、人の頭と足の距離に対する値ではありません。
東京スカイツリーの実験も実在します。二〇二〇年、東京大学・理化学研究所・島津製作所のチームが、持ち運べる光格子時計を二台つくり、一台をスカイツリーの地上階に、もう一台を四百五十メートルの展望台に置いて比べました。展望台の時計は一日あたり約四ナノ秒速く進んでいました。この時計の精度は十八桁で、一秒ずれるまでに宇宙の年齢よりも長くかかる計算になります。それまでこの種の検証は人工衛星やロケットに時計を積んで行われており、約一万キロの高低差が要りました。四百五十メートルで同じことができるようになったのが、この実験の意味です。
GPSの補正も実在します。衛星の時計は地上より一日に約三十八マイクロ秒(百万分の三十八秒)速く進みます。この数字は、重力によるぶん(プラス約四十五マイクロ秒)と、衛星が高速で飛ぶことによる遅れ(マイナス約七マイクロ秒)を差し引きしたものです。本文では差し引きしたあとの数字だけを使いました。補正しなければ、位置の誤差は一日で約十キロに達します。衛星の原子時計は、この差をあらかじめ引いた周波数に設定してから打ち上げられます。
宇宙の超空洞も実在します。英語では void と呼ばれ、日本語の記事では「ボイド」と書かれることもあります。宇宙の網目構造を解析した研究では、体積の約七十九パーセントを超空洞が占め、そこにある質量は約十四パーセントと見積もられています。逆に、銀河が糸状に連なったフィラメントは、体積では約四パーセントでありながら、質量の半分以上を抱えています。うしかい座の空洞は直径約三億三千万光年で、一九八一年に銀河の分布を調べる観測から見つかりました。本来二千個ほどの銀河があるはずのところに、六十個ほどしか見つかっていません。
遠くの星の爆発が「宇宙のものさし」になる理由も、実在の話です。本文で扱ったのは〈Ia型超新星〉と呼ばれる爆発で、白色矮星(はくしょくわいせい)という星が、決まった重さを超えた瞬間に吹き飛ぶものです。引き金になる重さがどれも同じなので、爆発の明るさもほぼ揃います。本当の明るさが分かっている光は、見かけの暗さから距離を割り出せる——だから、ものさしとして使えるのです。
でこぼこをならして計算する、というのも本当です。標準的な宇宙論は「宇宙は大きな尺度で見れば、どこも一様で、どの方向にも同じように見える」という前提の上に立っています。一九九八年、二つのチームが遠方のIa型超新星を観測して宇宙の加速膨張を発見し、この功績に対して二〇一一年のノーベル物理学賞が贈られました。加速の原因とされるものは〈ダークエネルギー〉と名づけられましたが、正体はいまも分かっていません。
本文で「対案」と呼んだものにも、実在の名前があります。タイムスケープ宇宙論といい、二〇〇七年にニュージーランドの研究者が提唱しました。宇宙を「空洞」と「銀河の詰まった側」の二つに分けて平均し直すと、両者の時計の進み方の差が宇宙の歴史のあいだに積み上がる、というのがその主張です。この説では、宇宙の年齢そのものも標準的な百三十八億年より大きく出ます。私たちのいる銀河の側でおよそ百四十二億年、空洞の中では百八十億年を超える、というのが提唱者の見積もりで、本文の「四十億年」はこの二つの差です。なお、この説では「時計の進み方の差は現在およそ四割」とも言われますが、これは現在の進み方の比であって、いま書いた年齢の差とは別の数字です。二〇二四年末から二〇二五年にかけて、この説を後押しする解析が発表され、話題になりました。過去に世界中で観測された千五百個あまりのIa型超新星について、明るさや距離のデータを一つにまとめた一覧表(カタログ)があります。この一覧表を、定説とタイムスケープの両方の式で解析し直し、どちらがデータをうまく説明できるかを比べたところ、タイムスケープのほうが当てはまりがよかった、という内容です。
ただし、これは受け入れられた説ではありません。批判も出ています。超新星のデータしか見ておらず、宇宙マイクロ波背景放射をはじめとする他の観測を説明できていないこと。宇宙の網目構造がどこから生まれたのかを説明していないこと。統計的な裏付けについても、そこまで強くはないと見る専門家がいること。いまも議論の途中です。本記事はこの説を支持も否定もしていません。「宇宙の測り方には、前提から問い直す議論がある」という事実のほうを、素材にしました。
この対案の中身について、もう少し正確に。本文では「くぼみが浅くなっていく速さの差」と書きましたが、専門的には、こう説明されます。宇宙の広がりには、物どうしの重力がブレーキをかけています。銀河の詰まった側では、このブレーキがよく効きます。ほとんど何もない空洞では、ブレーキ役がいないので、あまり効きません。このブレーキの効き方の差が、時計の進み方の差になり、宇宙の歴史を通じて積み上がっていく——というのがこの説の見立てです。地上で測られている「高いところの時計が速い」という効果と、同じ一つの式から出てくる数字ではありません。本文で「素直に計算すると十数万年にしかならない」と書いたのは、演出ではなく、そのとおりだからです。
そして、ここから先が創作です。「観測者の存在や、その場所に注がれる想いが、時間のくぼみを深くする」という考え方は、本紙の空想です。観測者がそこにいるかどうか、想いが注がれているかどうかが、重力や時間の進み方に影響するという事実は、物理学のどこにもありません。町から人が減っても、その町の時計は速くなりません。実家の親が思っていたより歳をとって見えるのは、会わずにいた年月が、それだけ長かったからです。
最後に、誤解のないように一つ。この対案は、宇宙が広がっていること自体を否定してはいません。宇宙が広がっているのは、どちらの立場でも動きません。無いのかもしれないと言われているのは、その広がりを年々速めている力のほうです。