神さまより先に、"それ"はいた — 火星の石に、人は"誰の顔"を見たのか
- 記録番号
- AKS-2026-2885
- 観測者
- 日野出 ソラ(神話・神秘担当記者(新人))
- 観測日
- 2026年9月18日
- 分類
- 神話 / 心理学 / 認知科学
- 実在性
- 虚構(本記事はフィクションです)

一九七六年七月二十五日、火星を回っていた探査機バイキング一号が、ある山の写真を撮りました。ただの、ごつごつした岩山です。ところが、その写真を見た人たちは口をそろえて、同じことを言いました。——顔がある、と。二つのくぼみが目に、盛り上がった部分が鼻に見える。あまりに人の顔に似ていたので、NASA自身も、報道向けに「人間の頭部に似ている」と発表したほどでした。
のちに、もっと解像度の高い写真が撮られ、そこにあったのはやはり、ただの岩山だと分かります。太陽の光がたまたまいい角度で当たって、目と鼻に見える影を作っていただけでした。——でも、ぼくが気になっているのは、種明かしされたあとの話です。「ただの岩山だ」と分かったあとも、その写真をもう一度見ると、多くの人は、頭では岩だと分かっているのに、どうしても”顔”のほうを先に認識してしまう、といいます。分かっているはずのことを、どうして脳は無視してしまうんでしょう。
二つの点と、一本の線で、顔になる
種を明かすと、これは人間の脳が起こす、ごくありふれた錯覚です。上に二つ、下に一つ。逆三角形の位置に何かがあるだけで、人はそこに「顔」を見てしまう。コンセントの差し込み口、車のヘッドライトとグリル、月の表面の模様。中身はまったく顔でなくても、配置が逆三角形に近づくだけで、脳はそこに目と口を読み取ってしまうのです。なんでもない模様を、知っているものの形に見てしまう——この心の動き全体を、パレイドリアと呼びます。
火星のあの岩山も、逆三角形に近いくぼみと盛り上がりが、たまたまそこにあっただけでした。それだけで、地球にいる人間の目に、はっきりと”顔”が浮かんでしまったのです。
宇野さんに聞いてみた
この話をしたくて、ぼくは地球の外のことを追いかけている先輩、宇野カケルさんを訪ねました。
「宇野さん。火星のあの”顔”って、あの一枚の写真だけの話なんですか。それとも、火星では前にも似たようなことが?」
「あるよ。むしろ、火星は昔からその手の話が多い星なんだ」宇野さんは即答しました。「十九世紀、まだ性能の低い望遠鏡しかなかったころ、火星の表面にまっすぐな筋が何本も見える、と報告した天文学者がいた。それを本気で調べ上げた学者が、あの筋は運河だ、火星人が水を引くために掘ったんだ、って、本を何冊も書いて広めたんだ」
「火星人がいる、って、大まじめに言われてたんですか」
「うん、当時は大まじめだったらしい。でも一九六五年、探査機が初めて火星のそばを通って写真を撮ったら——筋なんて、どこにもなかった。ただのクレーターだらけの、何もない地面だったんだ」
「望遠鏡で見えていた筋は、何だったんですか」
「ぼやけて見えた模様を、脳が”まっすぐな筋”だと思い込んでしまったんだろうね。今回の”顔”と、たぶん根っこは同じだよ。火星に限らず、はっきり見えないものを前にすると、人は”意味のある形”のほうを、つい見てしまう」
「はっきり見えないものを前にすると……」ぼくはつぶやきました。「顔でも、筋でも、“意味のある形”のほうが見えてしまう。じゃあ、そもそも何も見えていないときは、どうなるんでしょう」
見えるものが、何もなくても
誰もいない部屋で、ふと視線を感じて振り返ったことはありませんか。振り返った先には、誰もいません。壁があるだけです。それでも、たしかに「見られていた」気がした。——これは、火星の筋や、顔の形とは、少し違う話です。そこには、線も、顔も、そもそも何の形もありません。あるのは、“誰かがいる”という感じそのものだけです。
ある分野の研究では、人の心には、はっきりしない状況ほど「そこに誰かがいる」と感じやすい働きが備わっているのではないか、という考え方があります。草むらが揺れた瞬間、風のせいだと決めつける前に、まず「何かがいる」と身構えてしまう。見誤っても大した損はないけれど、本当に何かがいたときに見逃せば命取りになる——そういう理由で、この「誰かがいる、と感じやすい心」が備わったのではないか、というのです。
意味のある形を拾う視覚の癖と、気配だけで「誰かいる」と感じてしまう心の癖は、驚くほどよく似た働き方をしている——ぼくにはそう思えます。
「神さま」と呼ばれる前の神を、組み立ててみる
ここまでの話は、心理学の仮説にもとづいています。ここから書くのは、それとは別の話——ぼくが勝手に思いついた、証明のできない物語です。
もし、神さまという言葉がまだこの世になかった時代、人にあったのは”見られている感じ”だけだった、としたらどうでしょう。目もなければ、姿もない。ただ、「誰かに見られている」という感覚だけが、ずっと先にあった。人はそれゆえ、きちんとしていようとしました。誰が見ているかは分かりません。だから、誰も見ていないときでも、正しくあろうとしていました。それからしばらくして、その消えない視線に、人は名前をつけました。——かみさま、と。
神さまが人を見張り始めたのではありません。人が「見られている」と感じたから、そのあとで神さまが生まれた。本紙では、この、神より先にあった視線そのものに、〈見祖那和志神(みそなわしのかみ)〉という名前を付けることにします。この世界が生まれるより先に、この神だけがいた。姿もなく、瞬きもせず、ただ見ている。それが〈見祖那和志神〉です。
そう考えると、あの、誰もいない部屋で感じた視線も、少し違って見えてきませんか。振り返った先に誰もいなかったのは、そこに何もなかったからではなく——この神には、そもそも姿がないからなのかもしれません。
誰もいない部屋で、ふと視線を感じたとしましょう。振り返っても、そこには誰もいません。それでも、あなたはきっと、少しだけ背筋を伸ばして、行儀よくしてしまうはずです。——だれも見ていない場所ほど、人はきちんとしてしまう。それは、神さまより古い、人類がいちばん最初に覚えた畏れの名残なのだと思います。
元ネタ解説(ここからは観測者の種明かし)
火星の”顔”は実話です。一九七六年七月二十五日、探査機バイキング一号が撮影したサイドニア地域の写真に、人の顔のような岩山が写り込みました。あまりに顔らしかったため、NASAは報道向けに「人間の頭部に似ている」と発表しています。その後、一九九八年と二〇〇一年に、より高性能なカメラを積んだ探査機マーズ・グローバル・サーベイヤーが同じ場所を撮り直し、写っていたのは起伏の激しい、ただの岩山だと確認されました。光と影のいたずらだった、というのが現在の見立てです。
こうした「なんでもない模様を、知っている形として見てしまう」働き全体は、パレイドリアと呼ばれます。雲を動物に見たり、木の節を顔に見たりするのもこれです。そのなかでも、上に二つ・下に一つの逆三角形の配置だけで、ほぼ確実に「顔」を感知してしまう特に強い反応には、シミュラクラ現象という呼び名があります。あいまいなものの中から、いち早く敵や仲間の顔を見分けるための、防衛の仕組みだったのではないかと言われています。
記事の中盤で書いた「誰もいない部屋で感じる視線」の話には、もう一つ実在の学説を借りました。宗教を心の働きから説明しようとする研究の分野に、「過敏な行為者探知装置(HADD)」という考え方があります。心理学者のジャスティン・バレットらが提唱したもので、人には、はっきりしない状況でも「そこに誰か(意図を持つ何か)がいる」と感じやすい心の仕組みが備わっており、これが神や霊といった存在を信じる心の土台の一つになったのではないか、という仮説です。もちろん、これは複数ある学説の一つであって、証明された事実ではありません。「神さまの正体は錯覚だ」と言いたいわけでもありません。ぼくが借りたのは、あくまで「見る前に、見られている感じの方が先にあるのかもしれない」という発想の形だけです。
〈見祖那和志神〉と、そこから神さまが生まれたという語りは、完全に本紙の創作です。実在のどの神話にも、この名前の神は出てきません。ただ、名前の”種”にしたのは、実在する古い日本語です。「見そなわす」は、“見る”を敬って言う古い言い方で、神や天皇が何かをご覧になる場面で使われました。岩戸隠れの神話で、天照大神が岩戸を少し開けて外をうかがう、あの有名な場面を表すのにも使われています。本紙では、この言葉の響きに、古事記に出てくる神々の名前によく使われる当て字(音を表すためだけの、意味とは直接関係のない漢字)を当てて、〈見祖那和志神(みそなわしのかみ)〉という名前を組み立てました。
宇野カケルさんが話していた”火星の運河”も、実話です。一八七七年、イタリアの天文学者ジョヴァンニ・スキアパレッリが、当時の望遠鏡で火星の表面に筋状の模様を観測しました。スキアパレッリ自身はイタリア語で「溝・筋」を意味する言葉で記録しただけでしたが、それが英語に訳されるとき「運河(人工の水路)」となってしまい、「火星人が造ったのでは」という話に変わっていきます。それを本にまとめて広めたのが、アメリカの天文学者パーシヴァル・ローウェルです。けれど一九六五年、探査機マリナー四号が初めて火星のそばを通過して撮った写真に、運河は一本も写っていませんでした。あったのは、クレーターだらけの、何もない地面だけでした。のちにスキアパレッリ自身も、自分の見間違いだったと認めています。見たいものを、見てしまう。それは、望遠鏡の先でも、火星探査機の写真でも、そして誰もいない部屋でも、同じように起こることなのかもしれません。